物語

たった1人の友人から「二度と会いたくない」と言われた日

「ママさん、今すぐ出て行ってくれませんか?」

今でも忘れることが出来ませんが
10年前苦楽を共にしたたった1人の友人から言われた、
何があったのか?なぜそう言われたのか?

まるで人の血が通っていないような冷たく、残酷な一言でした。

背景を少しお話しますね。

Contents

地獄への第一歩

当時の私は起業したい!お金を稼ぎたい!でもやり方が分からない!
という、とにかくお金を稼ぎたくて仕方がなかったです。

その為に、長野県に住んでいた地元を抜け出し、
5年正社員で働いていた場所を捨て、埼玉県に移住するほどに。

なぜ東京ではなく埼玉県なのか?
家賃が安かったからですね笑

1LDKで4万円というお手頃価格が魅力的でした。
都心ど真ん中だと1LDKでも5~6万円はしてしまいます。
今思えば狭い部屋でしたが、住めばどこでも都。

初めての地元以外の暮らしは正直楽しかったです。

地元では車がないと不便でしたが、
埼玉では電車が近くにあるので東京にも30分ほどで行き放題。


買い物も歩いて5分以内にドンキやコンビニ、スーパーがあるので生活する分には困らない。

「これが都会かぁ!車いらないやんけ!」とウキウキしていました。

そんな中、当時月商で一度だけ50万円を達成した
せどり、転売を教えてくれた師匠が家に訪ねてくださいました。

それが後にたった1人の友人になる方でしたが、
仮に近藤(こんどう)としておきましょうか。

近藤さんは面白い人でせどり、転売をコンサルで教えている人でした。


あるセミナーで会った人でしたが、出身地が同じ長野県ということ、
そしてせどり、転売で大きく稼いでいることを知り、年も近いということで意気投合し、
仲良くなるのにそれほど時間はかからなかったです。

そんな関係でせどり、転売に興味を持った私は
50万円でコンサルティングを申し込み、

彼に教えられた通りに実行した結果、コンサル料を余裕で回収したんですね。

それを伝えた所、「ぜひ一緒に何かやりたいですね、会いませんか?」と言われ、最近埼玉に引っ越したことを告げると遊びに来てくれたということです。

聞けば、近藤さんは最近家を購入したらしく、3000万円の借金を抱えて家に嫁と子供も居るという。

なので、沢山稼がなきゃいけないことを話していました。
それを聞いた私は「ぜひ一緒に稼ぎましょうね!」と話し、
私が借りた埼玉のアパートで共同生活することになりました。

上手くいくと思った束の間…

師匠と一緒に暮らすようになった中、
まるで友人のような関係になりました。

その中でせどり、転売以外の収入源を確保すべく、
色々な人に会い試していく日々が始まりました。

  • ・借金9000万抱えた社長
  • ・年間1億円をギャンブル事業で稼いでいる社長
  • ・ライティングで毎月100万円稼ぎ東京の高層ビルに住んでいる金持ち

等、色々な人に会ってきましたが、
正直お金を使うだけで何一つ身に付けはしませんでした。

唯一、ギャンブルで稼いでいる社長と会っている時はパチンコの打ち子という形で
毎月10~20万円稼ぎ、競輪で1~5万を稼いでいたのですが、

残念ながらそれらって稼ぐには値しないんですよね。

なぜならパチンコや競輪、ギャンブル系をやった人なら分かると思いますが
それらってあぶく銭になってしまうからです。
今日勝てたからといって明日勝てるとは限らず、たまたま運が良かっただけ。

稼げた翌月では20万円どころかマイナスになっていきました。

それらを繰り返していった結果、
最終的に450万円もの借金に膨れ上がってしまいます。

そんな状況下である日、
近藤さんは古くからの友人を1人連れてきたいと言い始めました。

近藤さんの友人を仮に酒井さん(さかい)とします。

このタイミングで1人友人を連れてきた理由は、
打ち子の紹介というのもあるのですが
一緒に住むことで家賃や光熱費を削減できるという狙いもあったみたいです。

ただ、元々住んでいた1LDKの賃貸では男3人は流石に窮屈なので、
酒井さんは2LDKの賃貸を新しく借りたから一緒に住まないか?と提案してきました。

今の家賃だと男2人で割ると家賃、光熱費を考慮して1人辺り3~4万でしたが、
その2LDKに男3人で住んで家賃と光熱費を割ると今より安くなる為、その提案を飲むのでした。

最後の2ヶ月間…

一緒に住むことになり1ヶ月が経とうとしていた頃、
私は諦めムードになっていました。

最後の望みであったパチンコの打ち子という稼ぎ口が微妙になり、
借金450万円を抱えていたので税金を払えず、催促状の山になっていったんです。

ここまで来ると普通に稼いだだけでは足りないのですが、それでも稼いだ分が
マイナスにならないだけマシという理由で、打ち子をやめ夕方から始められ尚且つ昼間よりも多少時給が良いパチンコ屋の店員というバイトを始めました。

もちろん、例え30日フルで働いたとて手取りで20~25万。

借金返済を考えると毎月30~40万円は必要。全然足りません。
この時から借金返済を少しでも軽減させるため、
債務整理の相談を税理士としながらアルバイトをしてました。

なんと言いますか、惨めで、何の希望もなく、
なんで生きているのか?よく分からなかったです。

そんな中です。いつものようにアルバイトに行く前に近藤さんからこう言われました。

「今すぐ出て行ってくれませんか?」

後から知ったのですが、
近藤さんは打ち子で本気で稼いでいこうと決めていたみたいでした。
私からしたら打ち子というのは安定せず、お金がいくらあっても足りないヤバすぎた職業と思っています。

いや、職業とも呼べないものですね。

そんな打ち子に情熱を燃やしてしまった近藤さんにとって、
アルバイトに精を出し打ち子にも顔を出さなくなった私は邪魔だったんだと思います。

「分かった。後で荷物だけ取りに来ていい?
後、ここを出るとなるとバイトも無理だから電話だけしてもいい?」

言われた時がちょうど夕方で、これから出勤する時でした。

「それはOKです。じゃあ、伝えましたからね。今日中にここから出ていってください」

そう言うと部屋から出ていきました。
その日のうちにアルバイトで急にやめることを告げ、
近くにあった漫画喫茶で入りそこで1週間ほど入り浸りました。

これからどうしようか?とか、住む家どうしよっか?とか色々考えてはいたんですが、
なんかもう、疲れちゃったんですよね。

そうこうしているうちに1週間が経過したころ
思い切って地元に住む母親に電話を掛けました。

その際に全てを話しました。
今、家がないこと。借金があって途方に暮れている事。
そうしたら一言、こう言ってくれたんです。

「なら帰ってくればいいじゃん。また一緒に住んでもいいよ」

それを聞いた途端、涙が止まらなかったです。
その言葉を聞き、持っていたなけなしのお金で電車に乗り、地元に帰ったのでした。

住む家も失い、友人かと思っていた人から出ていけと言われ、
残ったのは借金450万円という当時の私からしたらデカすぎる負債。

埼玉に上京してきたのも、実は借金を返す糸口を掴む為でした。
地元で副業したい!と思って100万円の高額商材を銀行カードローンを使って購入したんですが、

内容が難しすぎて身に入らず、結局やめてしまったんです。
残ったのは100万円の借金だけでした。

せどり、転売でもそうです。一時だけ月商50万円に行った際、
辞めずにコツコツ行っていたらそれだけで生活の糸口ができたはずです。

敗因はすぐやめて次に行ってしまったこと。

バカすぎです。アホです。アホアホのアホです。人生舐めすぎたクソ人間です。

今思えばいきなりそこまでの大金を払わずリスク無く挑戦する環境を整えられるのですが、当時はそんなことも知らず、東京という都会に行けば何かしら稼ぐ口が見つかる!と本気で思い、地元を抜けだし埼玉に行ったんです。

何と言いますか、その行動力をもっと他に生かしなさいよ、
と自分でツッコミたくなりますね笑

さて、地元に帰った私は以前勤めていた正社員を先輩の説得でまた務められるようになり、そこで長い時間をかけ負債を減らしていくのですが、そこはまた別の機会に。

この部分だけでもかなり長くなってしまいましたので。

ここまで見て頂いた方ありがとうございます!

現在は副業として立ち上げたビジネスで少しずつ稼げるようになり、
最高月商140万円を達成しました!

借金という負債を経験したからこそ、
最初に始めるべきはお金をなるべく使わない限りなくリスクがない範囲でのやり方で
ビジネスを教える立場になっています。

私のように初期段階でいきなり大金ぶっこんではいけません。

マジで人生詰んでしまいます…

私は運よく地元に戻り以前お世話になった人と交流があった為、
住む家と新しい働き口を見つけられ傷を癒す事が出来ましたが、

もしあの時電話してなかったらどうなっていたか分かりません…

副業で稼いでみたい!リスク無く稼ぎたい!
そんな人はぜひ私に連絡ください。

今なら無料でお話をお聞きします。

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